2020年8月23日日曜日

お客様がブログに書いてくれました

見積に行ったお客さまが、ブログに書いてくれました。これからも、植物に対する敬意を忘れずにいたいと痛感しました。

「人間の「おこがましさ」を感じたこと」

ちょうどひと月ほど前でしょうか、新型コロナ(COVID-19)の第2波が来ると言われ始めた頃の2020年7月13日、お盆のため私は実家がある岐阜県に帰省をしておりました。

祖父母が数年前に他界して以来、実家の庭は荒れ放題です。草花が好きだった祖母が毎日目についた草をちょんちょんと摘んで抜いていた姿を思い出すと、日々の些細な行いが、どれほど大事であったのかと痛感します。

そこで隣町に住む庭師さんに連絡を取り、この荒れ放題となった庭を見てもらい、アドバイスをもらう事にしました。夕方、仕事帰りに立ち寄ってくださった庭師さんは、わが家の庭を見て苦笑い。「庭の手入れ以前の問題ですね」。

私は信州の自宅から草刈り機を持参していましたので、どこから手をつけて良いか教えを請いました。そう、私は背丈を超えるほどにジャングルと化したこの草々と、どう戦ったら良いでしょうか?と尋ねたのです。

しかし、庭師さんの答えは違いました。

植物が持つ " 力 " の奥深さを淡々と語ってくれたのです。原始の地球に出現したストロマトライトという藻が地球に酸素をもたらしたこと。植物が光合成を通して、地球上に住む生物の環境を整えていること。幾多の生存競争を繰り返して、植物はその植生を広げている事。

庭師さんが静かに語る話に耳を傾けているうちに、私は「植物を相手にしても、これは勝てないぞ」とだんだんと思えてきました。目の前の庭は、道路を挟んで竹林に繋がり、竹林を下ると棚田を抜けて里山、そして恵那山の峰へと続いています。

「私はあの恵那山の峰へと続くこの広大な緑の連なりに戦いを挑もうとしていたのか?」と考えると、何だか目眩を感じてきました。人間が草を薙ぎ倒し刈り取ったところで数日もすれば、その晒された屍の下からはまた新しい芽吹きが始まる。

「私(人間)が挑もうとしていたことは、きっとムダなのかもしれない。いいや、そもそも植物を相手に戦うという考え方がきっと『おこがましい』に違いない。」そういう思いに気持ちが変わりはじめました。

庭師さんにアドバイスを頂いた翌日、私は前日までと全く違う気持ちで庭に立っていました。

今年の長引く梅雨を幸いとして、草刈り機をゆったりと構え、ホウキで掃く様に優しく草の中を進みます。決して戦いを挑もうなどと傲る気持ちではなく、「どうも、おじゃまいたします」という素直な気持ちでした。

祖父母が愛でて楽しんでいた、あの庭の姿に近づくことは難しいかもしれません。何年かかかることとは思いますが、私は私なりに植物や庭に寄り添うことができたらいいなという思いで、今はおります。

あれから一月余が経ち、実家がある市内でもCOVID-19の感染者が判明したそうです。なかなかすんなりと帰省がしづらい世情があります。でもそんな中、実家の荒れ放題であろう庭の事を想うと、今の私はとても愛おしく思えてならないのです。

https://note.com/hachinosuke_883/n/n3ac9fef9c9be?fbclid=IwAR3JgzyBGNvk4FRVgJkzjobC2q6SW6hLZxbCUbDyxlIMpR0e9wAxDOS4FL0



恵那山